イギリスは第二次世界大戦を通じて
イギリスは第二次世界大戦を通じて約十一億ポンドの海外資産をすべて失い、戦争が始まったとき七億六千万ポンドであった対外債務は、終戦時、三十三億ポンドに膨れ上がった[35]こともあり、イギリス経済は疲弊してしまった。追い打ちを掛けるかのように日本の敗戦からの二日後の8月17日、アメリカ合衆国はレンドリース法を停止し対英援助を打ち切った。窮地に陥ったイギリス政府は戦後復興のために、1945年12月英米金融協定を調印したがこれにより大英帝国内部の特恵関税制度が否定され、経済面から大英帝国の崩壊が始まった。イギリス経済の疲弊により植民地を維持することが困難になり、また、各地の独立運動も相俟って、大英帝国は崩壊した。そして、ミャンマーなどを除く元植民地の多くはその後もイギリス連邦の一員としてイギリスとの絆を保っている。
日本の敗戦によりシンガポール、マレー半島や香港などの日本の占領下に置かれた植民地がイギリスの手に戻り、前記の2地域は1960年代に至るまで、香港は1997年に至るまでイギリスの植民地であった。
インドは戦後もイギリスによる統治がしばらく続いたものの、独立運動の激化により1947年8月15日にインドは独立した。
敗戦国のイタリアがトリポリ、キレナイカ(共に現在のリビア)、ソマリランド(現在のソマリア)等のアフリカの植民地を放棄し、これらの地域はその後しばらくの間イギリスの委任統治領になった。
ヴィシー政権は崩壊し、首班のフィリップ・ペタン元帥は逮捕され死刑判決を受けたが、その後政権を担った自由フランスの指導者ド・ゴールにより終身刑に減刑された。また、ココ・シャネルなど多くの対独協力者が断罪され、投獄されたり死刑となった。
モロッコやアルジェリアなどのアフリカの植民地を回復したが、戦後のフランスの国力低下に伴いそのほとんどが独立することになる。
本土がドイツに占領された後より、事実上日本の影響下にあったフランス領インドシナ(ベトナム)では、日本の降伏直後に独立運動指導者のホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言したが、植民地支配復活を狙うフランスとの間に第一次インドシナ戦争が起こり、さらに後のベトナム戦争へつながる。
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ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。旧東プロシアのケーニスベルクとその周辺は、カリーニングラードと改称して現在もロシアの”飛び地”として領有。
開戦前に併合したエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国への支配、ルーマニアから獲得したベッサラビア(現在のモルドバ)の領有を復活させた。
上記の新領土内の非ロシア人の住民を追放して、ロシア人などを入植させる国内移住政策が進められた。
進駐したソ連軍の軍事的な恫喝により、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリアなどに親ソ共産政権を樹立し、衛星国とし影響下においた。
チェコスロヴァキアではソ連支配に対する抵抗が強かったが、非共産党系の政治家を暗殺、処刑するなどして共産党が政権を手に入れた後、ソ連型社会主義をモデルにした国家政策が急速に進められた。ハンガリーでは、1956年にソ連支配に抵抗するハンガリー動乱が勃発したが、ソ連はソ連軍などワルシャワ条約機構軍を介入して圧殺した。
バルト三国